令和4年度総会(紙面総会)

「令和4年度 総会」の資料を掲載致します。

凌雲会 令和4年度総会(紙面総会)(PDFファイル)

※ 実質初年度なので、資料は全員に郵送します

※ 皆さんに郵送した資料紙面とホームページ掲載の資料に相違があります。相違、訂正点は次の数値です。

 資料冒頭の「総会参加者」の項です。
 ・181名(誤)⇒180名(正)・住所不明会員18名(誤)⇒19名(正)

キャッコ(鈴木雄喜君)逝ってしまいました 悔しいとはこのことか…

偲んで

角館中学校同期(C組)の鈴木雄喜君が4月6日に急逝されました。

葬儀は次の通り執り行われるとのことです。

ここに故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。

◇ 火 葬:4月9日(土)10時00分:北部斎場

◇ 葬 儀: 同 日   12時30分:JA葬祭虹のホールエテルナ                 (大仙市四ツ屋字上百瀬19-1)

「角館中学校第18期『凌雲会』」と「三五六会」から献花をしてお見送りしたいと思います。(今回は弔慰金の集金は致しません。)

なお、奥様から、コロナ禍ですが自宅への弔問をお受けするとのお言葉をいただいております。ここ数週間で容体が悪化しての本日となってしまったようです。3月中旬には普通に元気な様子でしたのに…。

ただただ涙・・・うまい言葉がうかびません・・・合掌  (達朗)

お元気ですね 良子先生

良子先生と県展入選作「太陽の華」

〇4月1日に始まる年度は、国や自治体の行政・会計年度、諸学校の運営年度等々、社会の年サイクルの一般となっています。本会の会務・会計期間も4月1日に始まる1年間としております。皆さんも自身ばかりでなくご家族の生活でも、本日に新しい年のスタートを感じている方が多いのではないでしょうか。さてどんな1年になるのでしょう・・・。

〇そのような年始に、凌雲会の恩師「草彅良子先生」に登場していただきました。先生の歩みをかいつまんでご紹介します。

・昭和13年元日、屋号「金文」という商家に誕生。⇒国民学校~角館小~角館中~角館南高校卒。⇒高校卒業後は横町の「角大」で家事見習いとして奉公。所謂花嫁修業。⇒その折、角館のある先輩女性から「これからの時代、女性も自立して社会で活躍しなくては・・・」と声をかけられ・・・はっ、と・・・。⇒家族に内緒で「日本女子体育大学短大」の一次試験を秋田市会場で受検・・・見事合格。⇒しかし、本試験の実技は上京して大学会場での受検・・・。⇒進学を志した良子女子は、意を決して家族に告白・・・。⇒「兄の猛反対」「一部親戚の後押し」「親族会議大紛糾」(父上は早くに死去、家業の経営は困難化)・・・⇒最後に母「学ばせてやりたい、資金は何とか工面する」と英断・・・⇒実技試験を受けることが認められる・・・。⇒ところが当日、幾つかの体育実技のひとつになんと見たことも聞いたことも無い「ハードル」が・・・。⇒ここで流石良子女子、試験官の説明と他受検者の実技を参考にして、一発チャレンジ試走決行!⇒結果、するするリズミカルに跳べた・・・。見事合格、めでたく入学・・・。⇒大学では「全寮制の厳しさと楽しさ」「学生自治会の会長」「バスケットボール部」などで大活躍・・・。⇒バスケは当時の1部リーグで見事全国大会(現インカレ)優勝のベンチメンバーに・・・。

〇卒業後は故郷秋田で中学校教員採用試験・・・。⇒4年間の講師期間を経て、昭和38年新規採用され「豊成中」を初任に「角館中」「太田中」再度「角館中」に勤務。「保健体育」「国語」(国語の免許は在職中に研鑽して取得とのこと)の教諭として、多くの生徒の指導を重ねました。生徒ばかりでなく、教職員仲間や保護者、地域住民からの信望もとても厚かったこと申すまでもありません・・・。まさに女性活躍の象徴のような職務ぶりだと敬服しています。

〇平成12年3月「角館中」で定年退職。(私鈴木は縁あって同職)「退任式」でのあいさつは忘れられません・・・。艶やかな和服姿の良子先生「みんな子どもの頃好きだったでしょう、桃太郎のお話をしますよ・・・。むかしむかし・・・・・・キジはね・・・・・・サルはね・・・・・・そしてイヌは・・・・・・桃太郎は・・・・・・めでたしめでたし」「みんなも色んな力をもっているのです。まだ気が付かない力も・・・これからいろいろ経験して・・・しっかり伸ばしてね・・・そしてその力を合わせます・・・するとみんなの幸せが・・・」といった昔話風の退任のあいさつでした。やんちゃな生徒もいる時代の角中でした。そんな子らも誰ひとり目をそらさずじっと聞き入っていました。あらためて良子先生の素敵さに震えた「退任式」でした。

〇ご退職後も多方面でご活躍。「角南駒草同窓会長」「統合角高の若杉・駒草同窓会副会長」・・・。とりわけ進取の気概をみせているのが「日本画」「俳画」です。絵画には、お知りあいの勧誘や日本画展での感動から新たに取り組み始め、日本画教室に通って、万物を深く観察すること、写生を繰り返すこと、日本絵の具の扱い方等々の基礎基本をじっくり身に付けたそうです。秋田県展には力を蓄えた6年目に初出展し見事に入選。それからなんと10年連続して入選を果たしたとのこと。作風では花を中心とした明るさを表すことに努めているそうです。今は号の大きな作品にはひと区切りをつけて、色紙サイズの「俳画」を嗜んでいるとのことです。

〇6人のお孫さんの成長に目を細めていました。運動系に励んでいる方が多いようです。ご自宅にはお孫さんたちの活躍写真がたくさん飾られています。

〇凌雲会の諸兄姉へ「出会いをずっと大切に。これまでに出会った人々には感謝して、これから出会う人々とはいい関係を結び続けてください。大変な時代ですが、『まじめさ』と『正直さ』があれば、どんな困難も乗り越えられます。まだまだ、がんばれ。」と結んでくださいました。「祝う会」でお待ちしています。